16世紀初頭には、額縁を扱う大きな工房ではすでに製作の分業化が進んでいたと言われています。記録の少ないなかで、珍しく残っていた手紙からわかったことです。
当時すでに、いろいろな工程を経ないと製作できないものは分業化されていたことは予想されていました。通常でも額縁の製作にはプロフィールの製作から木彫り細工、組み立てそして金箔の仕上げとざっと挙げただけでもいくつもの工程を必要とされていました。
このことを裏付けたのは冒頭の文書からです。その記載から板絵を一旦外して枠を別の職人に下塗りと色付けさせ、さらに金箔仕上げに回してほしい、というような下りがあり、その分業の様子がわかる指示がされていたものです。
実際には更に細かい工程もあると予想されますが、その主な作業が専門的な技量を伴うため分業は当然の成り行きだったのかもしれません。